なか房 | 京都1975

なか房



なんやかんやで京都では次々とラーメン屋ができて。増えた分、また潰れたりして。美味しかったり、美味しくなかったりして。様々な価値観が散りばめられて、食う側としては選択肢が増えましたなあ。ここまでくると、美味しいか美味しくないかというよりは、好きか嫌いかの次元なわけでね。そんなカオスの中でやっと気付いた、確固たる一つの不文律を見つけたわけ。「ラーメンを作るのはやっぱオヤジのほうがいい」。敷衍すると「なか房」のオヤジさんが好きなわけだ。じゃあ、どう好きなのかを語りたいと思うんだけれど、まずこれは決してオヤジさんを貶す意図は全くないってことを冒頭に述べておきたい。念のためのエクスキューズ、曲解される恐れがあるもんでね。要は愛。それじゃ本題。「なか房」において、ラーメンの注文時には、3つの設問を経ることになる。「こってりか、あっさりか」「太麺か、細麺か」「にんにくを入れるか、入れないか」。この3つの設問に対してのオヤジさんの切り盛りっぷりは、繁忙時と閑散時とで見事に異なる。繁忙時とは、まあ正午前後を差すんだけれど、この時間帯はオヤジさんのラーメンパワー(謎)がフルスロットルで炸裂していて「太麺、細麺?」→「太麺」→「はいよ」→即座に麺投入、な、淀みなきフローが眼前に繰り広げられる。てきぱき、てきぱき。これがどうして、閑散時には一転、3つの設問を経た後に、さらに再度「こってりやったっけ?」→「いや、あっさり」「太麺やったっけ?」→「いや、細麺」な、不毛なる再確認の嵐。ぎくしゃく、ぎくしゃく。閑散時にしか訪れなかった当初、客は私を含めて3~4人というシチュエーションにおいて発露したこの忘却っぷりを目の当たりにして、これはオヤジさんの確信犯、つまりはパフォーマンスなんだと思った私は甘過ぎた。そこに存在するのはリアルな忘却だったのだ。推測するに、閑散時には、余暇を持て余したオヤジさんが、ラーメン作りに付随する二次的な作業に腐心するが余り、本来持ち合わせるラーメンパワー(謎)を発揮できないでいるのだ。そんな状況においても、再確認時に笑顔で返答する常連客の鷹揚な対応を傍観し、己の懐の浅さを痛感した次第。つまりは、ここで初めて、この天性の不器用さを持ち合わせたオヤジさんを愛する心が芽生えたわけだ。失うものあれば、得るものあり。つまりは閑散時なんだけれど、退店時にオヤジさんから気の利いた一言がもらえる。「満足していただけましたか」「ゆっくりしていただけましたか」なーんてね。この一言が聞きたいがために、敢えて閑散時に通う男がここに一人。て、ここまで書いて肝心のラーメンに関する記述が全くないことに気付くんだけれど、もう手遅れ。でも、一つだけ。絶対に太麺、以上。

なか房 (なかふさ) (ラーメン / 鞍馬口)
★★★★★ 4.5